「アンテプリマ」の創設者であり、香港と日本を軸に活躍するクリエイティブ・ディレクターの荻野いづみが、いま会いたい、第一線で輝き続けている女性をゲストにお呼びして語るエンパワーメント対談企画の第四弾。今回は渡邉季穂さんをお迎えし、世界に通用する、強く美しく生きる女性としてのキャリアやその魅力に迫り、前編・後編に分けてみなさまにお届けします。
VOL.4 前編
ネイル美容界の発展を担ってきた
いまの時代をしなやかに楽しみ生きる女性の活躍
GUEST | 渡邉季穂 Kiho Watanabe
荻野:ネイル界の第一人者としてご活躍されている、uka代表の渡邉季穂さん。まずは生い立ちや幼少期、ご環境などについて、ご紹介ください。
渡邉さん(以降、敬称略):祖父の代から厚木で床屋さんを経営している家に生まれた父は、早くに祖父を亡くし、5人兄妹の長男として20代から祖父の遺した床屋を継ぎました。自力で日本チャンピオンになり、日本全国を駆け回る講師をしていたので、私の幼少期は床屋さんの上に家族で住み込み、従業員のお兄さんと衣食をともに育ちました。中高になると私立の女子校に入り、高校卒業後、私も家業を継ぐ選択を迫られましたが、幼少の頃から従業員たちの手が荒れているのを見ていたので、床屋さんにはなりたいと思わず、ファッションが好きだったので文化服装学園に通うことに。通う条件として、“理美容学校に通い免許を取る”と言われたので理美容学校にも通いました。卒業後は自分探しのためにアルバイトの日々。そんな中、3つ下の妹が脳腫瘍で他界、同じくして父が49歳にして、命は取り留めたものの喉頭癌で声帯を失いました。私はアルバイトを辞め、妹の分までと思い、家業に入って母の側で事務処理を手伝うことになりました。
荻野:ネイルとの出会い、ネイリストを目指したきっかけなどについて教えてください。
渡邉:かさぶたがキライで、噛んだりするクセがあって、シャーペンでめくったり、とにかく突起物やザラザラがキライな子供で、指に常に絆創膏がついていました。結婚してから、呑気な家事手伝い主婦で、本当に暇で仕方なかったです。そんなとき、友人のスタイリストがネイルサロンに誘ってくれて。それまでささくれや爪を噛む癖があった私が、ネイルサロンに行ったことで、爪や爪まわりが見違えるようにすっきりしたことに感動し、すぐにネイルスクールに入ることを決めました。全部キレイになった瞬間に、自分でもやりたくてしょうがない衝動に。そこからネイリストを目指しました。父が美容界にいたのに、私の自分探しは多くて長すぎました(笑)。何か手伝わなきゃとずっと思っていて。LAに旅行したときにハリウッドで衝撃を受けました。ビューティサロン、ネイルもすべてトータルで一緒になっていて、実家の床屋や日本とは全く違ってサロンが華やか!トータルビューティサロンをしたいという思いが芽生えました。ネイルなら、床屋(美容室)と一緒にできる!と思って。
荻野:ネイルの魅力って何でしょうか?
渡邉:ネイルの魅力は、指先に風が通るような、お風呂に入って垢すりした後のような、ケアの気持ちよさでしょうか。メイクも、飾るより肌作りや土台作りが好きだったし、ネイルもアートとか派手なものは自分でやったこともないし、ネイルケアを追求しました。短い時間でキレイに美しくなる。対面でお話しできて、また来ていただける。好きなことが揃ったので続きましたね。この気持ちのよいケアを体感したら、ケアをしたいと思うはず。手は生ける道具だと思います。大切にケアしてあげることが一番大切で、その整えられたネイルの上にカラーを塗る。季節やそのひとのイメージ、流行など、まるでファッションを変えるように彩られる、マニキュアやジェルの色やデザインは本当に美しいし、そのひとの句読点のように、しっかりと締まるパーツだと思います。
荻野:ネイリストになるまでに、努力したこと苦労されたことなどはありましたか?一番印象に残るエピソードなどを教えてください。
渡邉:ヘアサロンの一角にネイルサロンを構えたので、何十人もいる従業員から“社長の娘が楽しそうなネイルを勝手にやり始めた”という目で見られていました。みんなに説明して、甘皮を取ってキレイにして5,000円。なかなかお客さんが来なかった。ネイルのよさをわかってもらえなかった。当時ネイルはお金持ちや芸能人、または夜のお仕事の方がするもので、一般女子がするものではなかった時代。やっと予約が入ったペディキュア(フット)のお客様に、「爪は触らなくていいから、踵のガサガサだけでいい」と言われ、足のたこを削りましたが、コスパが悪くて(笑)。仕切り直して、学校のアシスタント講師などを経て、青山に父が店舗を出すときにスタッフを4人抱えてネイルサロンをしましたが、売上が悪くみんな辞めていき、1人になった。辛かった時期でした。お客様1人に対して150%頑張ればいいと考え、奮闘しました。開店から1年目、いまから26年前、いまでも常連の神田うのさんから、予約が入り緊張したのは忘れられません。彼女は当時ネイルクイーンでしたので。
荻野:昔ってまだネイルがメジャーじゃない時代ですよね?
渡邉:はい。ネイルサロンが増えて、ネイルが成長する時代を生きていたので、段々と美容サロンでネイルを一緒にできると便利ね、と少しずつ増えていったのが実感できました。ファッション誌の表紙の女優さんの仕事をいただいたときは、“マットな白に黒の花”のデザインを必死に2週間毎晩ずっと練習しました。マットが塗りづらくて。その撮影の仕事が好評で、だんだんネイルの仕事が増えていき、モデルさんが来店してくださり、徐々にまわってくるように。
荻野:いまと昔、ネイル業界はどう変わったか、またはどう成長したとお感じですか?
渡邉:お金持ちが、何時間もかけてデザイン込みの華やかなネイルをする(スカルプ&マニキュア)時代から、手軽なジェルネイルになり、働く女性が増えたので、手元を美しくすることでストレス発散になり、ネイルブームが到来。ケアよりもアート中心になった。ジェルは剥がれにくいから、フレンチなどの持ちもよくなり、OLさんにも支持され、幅広く浸透し一般的に広がりました。ヘアをやりながら、同時に手先やフットもネイルができるように、時短美容がトレンドに。いまではシンプルなネイルや単色がブームになり、セルフ需要が多くなってきてはいますが、サロンケアは、未だに需要が伸びています。コロナで逆に忙しくなりました。セルフケアをおうちでやることが増えたから、インスタライブで正しいケアを毎日配信したら、製品の売り上げが好調になり、伸び率がかなり上がりました。
荻野:ファッションも売上は一時落ちて、おでかけバッグは下がりましたが、逆にカジュアル需要は伸びましたね。
渡邉:おもしろいですよね。一時期来店が減りましたけど、美容で癒される方も多いので、コロナ対策をきちんとしているとわかると安全だと理解され戻っていきましたね。
荻野:ネイリスト、アーティスト、経営者、講師など、たくさんの顔を持つ渡邉さんの、お仕事の割合は?
渡邉:いまではネイリスト20%、アーティスト(撮影)20%、経営60%(教育、プロデュース、製品開発、その他含む)です。製品開発は13年前からずっとやっていて、ストア設計にも関わっています。
荻野:ご自身のキャリアに関わる選択で、最もよかったことは?
渡邉:普通では会えないひとのネイル(手)を担当させていただくことができたこと。また、有名人ではなくとも、色々な方と手と手をとって話す時間があるネイルは、いろんな方の考え方を聞くことができて、製品開発にも繋がりました。
荻野:女性が多くいる職場かと思いますが、社員のモチベーション、意識向上など、社員へエンパワーメントを与えるのにしていること、心がけていることはありますか?
渡邉:女性の割合は70%くらい。経営者として心がけていることは、笑顔・挨拶の仕方・髪型・ファッション・匂いなど敏感に反応して、ちょっとした変化を見つけ、コミュニケーションすることです。コミュニケーションを取りよく話すこと、納得し合うことが大事。働き方を多様化させることで変えていく、環境をよくしていくことを心がけるようにしています。
荻野:私たち経営者は、モチベーションは高いと思うけど、社員にお願いするときって大変ですよね。気がないひとにやってもらってもしょうがないし、逆にモチベーション高いひとは激励してみるとか。
渡邉:サロンのお客様に対して、長時間触れる仕事だから、環境を整えてお客さまを呼ぶのが大切で。立地、環境がよい所を選んでいます。お客様がスタッフを育てて整えていただくことも。共に成長する。響かない、スタッフもいますけどね(笑)。
荻野:ひと一人のチカラってすごい!やる気を起こせば何でもできる!って言うと、「それは違います」とか言われることも。パワーを発揮しようと思うか否かは自分次第なのに。
渡邉:日本って恵まれているから、ハングリーさが足りないですよね。“いいこちゃん”が多い。怒られたくない、挑戦したくない子が多いから、盛り上げるのが大変!チャンスが転がっているのに、シャットダウンを自分でしてしまう、もったいないです。育てることより原石を見つけることのほうが大事かもしれません。
荻野:どういうスタッフと働くと楽しいですか?
渡邉:チャレンジしている子。経営者の自分がすべて尻拭いするから、行動を起こして欲しいですね。熱く仕事をしたり語る子にはワクワクするし、協力したくなります。絶対的に同じ方向の感覚の持ち主じゃないと、一緒に働くのはむずかしい。真逆は受け入れにくいけれど、夢見がちなひとも好きです。
荻野:イマジネーションを広げて、最初から否定しないで色々とまずやってみようとすることって大事。常に想像を豊かにしていないと、数字、現実を見すぎると、何もできないから。
渡邉:工夫とアイディアと夢があるひとと一緒にお仕事できると、楽しいですよね。根拠のない自信があるひとがいると、強くなれる。大丈夫です!と笑っていて欲しい。
荻野:ご自身の人生で、身近な女性から影響を受けたことを教えてください。
渡邉:母です。「どちらにしてもやらなきゃならないなら、楽しくやりなさい」と、いつも明るいひとでした。
荻野:女性として、何か困ったことや壁を感じたことはありましたか?
渡邉:ないです。口癖のように、“人間としてひととして”と話すようにしています。感覚的に“女だから”とかは一切ないです。
荻野:キャリアの中で、立ち止まったり、悩んだりしたことはありますか?そのときにどう対応し乗り越えましたか?
渡邉:壁が多すぎて、その都度すべてを乗り越えてきました。できないことはできないと、削ぎ落としてできることを頑張った。旦那さんと仕事することは悩んだことも。家も仕事も一緒になってしまう。子供もいないし、家に仕事を持ちこんでしまうし、距離感の取り方が一番難しい。いい奥さんになるなら、諦めなきゃいけなかった。家には仕事を持ち込まない、と決めています。夫婦2人がきちんとタッグを組んでいないと、会社も上手くいかないから、気をつけています。
荻野:夫婦一緒の職場は、私も同じだからわかります。対立もしょっちゅう。夫婦だからこそ、仕事面でも絶妙にいいバランスを発揮できるといいですよね。
渡邉:お互いにぶつかることももちろんある。急に妻と夫になり、自分が引き下がらなきゃいけなくてストレスフルになることも。でも、いいこともあります。自分に決断力があっても、ふと怖くなってしまう。ネイルオイルの開発を考えていたとき、雑談だったことをすぐにやろう!とすぐに形にしてくれた。すごいスピードでやってくれたので自分とは違ったのは有り難かった。スゴイなと感心しました。
荻野:女性として強くしなやかに活躍するために、必要なこと、何が大切だと思いますか?
渡邉:美味しい食事と会話、空間を大切にしています。ukaのウカ子ちゃんたち(スタッフ)は「みんな可愛いですね」と言われることや、想像もつかない大きなお仕事をいただいたことなどが、日々の糧になり頑張れます。
荻野:女性が一番美しく見える、ネイルやケアについて教えてください。
渡邉:爪はそのひとの句読点の○。流行りを少し取り入れつつ、ベースのお手入れが行き届いていることが大切です。そのときの気分やファッション、季節に合わせて、色やデザインを楽しむ。鏡に映った自分とネイルがマッチしていることが、一番素敵に見える。色やデザインがあってもなくても、ツヤと潤いがあることが一番美しいと思っています。
後編へ続く……
Profile
渡邉季穂 Kiho Watanabe
“うれしいことが、世界でいちばん多いお店”をコンセプトに掲げた、ヘア、ネイル、エステ、ヘッドスパ、アイラッシュ、カフェ、ストアなどを幅広く扱うトータルビューティカンパニー「uka」代表であり、トップネイリスト。雑誌やCM、広告、ショーやコレクションをはじめ、プロダクト開発やストアプロデュースも行い、その活躍は多岐に渡る。ネイリストとしてサロンワークのほか、プロネイリストの育成やセルフケアセミナーなども実施。最先端の美を広める存在として、カリスマ的存在感を発揮し続けている。株式会社主婦の友社から2021年8月に書籍『ukaが教える 大人のハンド&ネイルケア』を発売。
LOCATION:ザ・ペニンシュラ東京
日本の「灯籠」をイメージした24階建てのザ・ペニンシュラ東京は、丸の内、皇居外苑と日比谷公園に面しており、ショッピングの中心地、銀座までは徒歩3分圏内と最高のロケーションに位置し、和のテイストで落ち着きのある客室と個性豊かなレストランをご提供しています。
PHOTO:AKIRA MAEDA(MAETTICO)
HAIR&MAKE:HIROMI YAMAMOTO
EDIT:MAYUKO HAMAGUCHI(SEASTARS Inc.)