「アンテプリマ」の創設者であり、香港と日本を軸に活躍するクリエイティブ・ディレクターの荻野いづみが、いま会いたい、第一線で輝き続けている女性をゲストにお呼びして語るエンパワーメント対談企画の第三弾。
今回は内田恭子さんをお迎えし、世界に通用する、強く美しく生きる女性としてのキャリアやその魅力に迫り、前編・後編に分けてみなさまにお届けします。
VOL.3 前編
アナウンサーというキャリアを経て
いまの時代をしなやかに楽しみ生きる女性の活躍
GUEST | 内田恭子 Kyoko Uchida
荻野:アナウンサーとして、メディアでご活躍されている内田恭子さん。まずは生い立ちや幼少期、ご環境などについて、ご紹介ください。
内田さん(以降、敬称略):はい。父が商社に勤めていたため、ドイツ・ドュッセルドルフで生まれ、2歳で帰国。その後、父はエジプト・カイロに単身赴任したので、私は11歳から16歳までは家族とアメリカ・シカゴで過ごしました。日本の高校には1年と少し通いましたが、カルチャーショックが強すぎて、あまり馴染めませんでした。その後、慶應義塾大学商学部で学び、99年にフジテレビアナウンス室に入社しました。
荻野:素晴らしい環境!ほぼ海外でお過ごしになられたんですね。アナウンサーというお仕事との出会いや目指したきっかけ、魅力などについて教えてください。
内田:大学時代は、学びよりも仲間と過ごすことに熱中していたので、就職について考え始めたのは大学3年生になってからでした。大学3年の夏に何も決めていなくて……。フジテレビで行われていた、1日アナウンサー体験というものを友人から知り、参加をして、当時お台場に移ったばかりのフジテレビに心を奪われ、ここで働きたい!と強く思いました。こんなにキラキラと楽しい職場があるんだ、と魅力を感じたのを覚えていますね。
荻野:アナウンサーというお仕事で、努力したこと苦労されたことなどはありましたか?1番印象に残るエピソードなどを教えてください。
内田:たくさんありますが、最初の2年間は報道番組のレポーターをやっていたので、事故、事件現場にたくさん足を運びました。現場で学ぶという環境の中、華やかなアナウンサーのイメージとは180度違うシビアな現場で、報道の在り方や、ひとにマイクを向けることは、ときには凶器になることだということもそこで学びました。ニュース担当だったので、会議で決まったネタで、現場や地方に、急に中継で行き自分の足でまわる。警察の発表待ちで東京に帰れないなど、多々ありました。笑顔で伝えることが少ない現場。突撃して、新人で何をしていいかわからない、でもコメントを取ってこなきゃいけない。被害者にマイクを向ける辛さもありました。また、裏を必ず取らなければいけないことも。物理的に、時間にいつも追われていたということがハードでした。その後5年間夜の生放送をやっていましたが、朝からの取材は当たり前でしたし、常に肉体的にハードな仕事でした。原稿にあることを読み上げ伝えるだけではなく、生放送の尺の中で、臨機応変な対応も求められる。その楽しさもあったんですが、秒単位の中で常に調整をしなければならない、それが最初慣れなかったですね。スポーツ報道はエンターテインメントで、臨場感を伝えたり、自分の意見を述べることが大切。でも、報道は事実のみを述べる。その違いに苦労しました。いま思えば、20代でしかこなせなかった勤務内容だったと思います。休みがなくよくまわしていたなという、大変さでしたね。
荻野:華やかに見えるけれど、とてもハードなお仕事ですね。ご結婚を機にお仕事がフリーランスになり、変化はありましたか?
内田:私は人生における大きな決断になればなるほど、あまりひとには相談せず、自分で決めてしまうので、最初は会社の上司にもとても心配されました。フリーになって、特に大きな変化はありません。ただ、最初のころは、チームで番組を作るという立場から、フリーになるとお客様的扱いのほうが多くなってしまうので、そのチームで得られる達成感が少なくなってしまい、寂しく感じたこともあります。あとは社員とフリーでは立場も違うので、自分で責任を取ること、ひとつひとつの仕事に対してより真摯に取り組む、ということを感じるようになりました。社員として教育されていたので、大きなミスをしても先輩などが守ってくださったけれど、フリーになり、仕事の責任の重みを感じています。自分でやると、ひとつひとつにきちんと向き合ってやらなくてはならない、という変化はありましたね。フリーになると幅が広がったので、やったことのない分野が増えたり、楽しみが増えました。
荻野:いまのお仕事はどのような内容が多いですか?
内田:いまは主にテレビ、エッセイ、イベントの司会、そしてボランティアで10年以上、都内の小児病棟で読み聞かせ活動を行っています。その他に、いまはドイツにあるIMAのMBSR(マインドフルネス ストレス低減法)の資格を目指して勉強中です。※詳しくは後編にて
荻野:お仕事環境の女性の割合は?
内田:いまは半々だと思います。私がいた時代のテレビ局は、圧倒的に男性がマジョリティーでした。特にその中でも、私はスポーツの番組をしていたので、ハードな仕事においてでも、女性であることを言い訳にしないよう、心掛けていたような気がします。
荻野:いまのご自分を形成する上で、最も影響を受けた方はいらっしゃいますか?
内田:自分をここまで育てて見守ってくれた母の影響が大きいと思います。食事に対しての姿勢だったり、子供に愛を惜しみなくくれたり、なにかあるごとにハグをしてくれたりという部分は、いま子育て中の母親である私に、とても大きく反映されていると思います。ただ、母はずっと専業主婦だったので、ひとりの女性としての生き方としては、違う道を辿っていると思います。
荻野:女性として、何か困ったことや壁を感じたことはありましたか?
内田:“女性アナウンサー”という強いステレオタイプが世の中にはあるので、自分の意見ややりたいことを、真面目に受け取ってもらえなかったことや、厳しい意見を一方的に言われてしまうなど、度々あります。育児をしながらキャリアを積む、ということのハードルの高さは、常に感じています。
荻野:女性として強くしなやかに活躍するために、必要なこと、何が大切だと思いますか?
内田:客観的に自分を見ています。尊敬している目上の女性に50歳になったときに、どんな自分になっていたいのか、想像していまから準備しなさいと言われたことがあり、実践している最中です。素敵な50歳を迎えるためにいま自分は何をするべきなのか。そう考えながら、いま40代を過ごしています。そして決して無理をしないこと。自分を一番に応援してあげることが大切だと思っています。
荻野:常に笑顔でいることしか私も思いつきませんね。いやなことはすぐに忘れてしまい、明日は笑っていようとする心が大事だと思います。
内田:私も性格が似ているかもしれません!いやなことはすぐに忘れてしまう。そんなことあったっけ?みたいな。そして楽しむことを忘れないこと。楽しくないことを無理してやることはないと思うし、辛い思いをして我慢しない。私はひとのお話しを聞くのがすごく好きで、知らない世界や自分の前を歩いている方のお話は、職業柄すぐメモをしたくなります。女性として、母として、経営者として、荻野さんのお話しはスッと入ってきます。好きなひとたちばかり会っているけれど、初めましての方は新鮮な発見があり、学びなどがたくさんあります。
荻野:先日、伊勢神宮にお礼参りに行きました。お参りして、お礼をして。とてもいいシステムだなと思って続けているけれど、人生にはいいみたい。みんながお伊勢参りする理由がわかってきました。感謝のループ。
内田:清いですよね。感謝という気持ち。私は寝る前に、今日感謝すること10個を指で数えています。お肉が美味しかった!でもいいんです。これをやると、私こんなに恵まれたことがあった!とハッピーになれる。大変だと思うと大変になるから、このいい習慣を大切にしています。
荻野:いい習慣だと思います。不平不満ばかりを言うと、いいことが巡ってこないですよね。女性として活躍するにあたり、結婚、子育てなどを上手に両立するコツはありますか?
内田:両立のバランスはひとそれぞれで、これが正しい!というバランスはないと思います。直接な答えにはなりませんが、好きな言葉に「Happiness is not out there. It’s in you」というのがあります。自分にきちんと向き合うことで、自分であることの大切さ、自分を支えてくれているひとや物が分かるようになると思います。そうすると必然的に自分にとっての大事なものや幸せが分かる気がします。それが自分にとってのいいバランスにつながっていくのではないでしょうか。
荻野:私は上手に手抜きをすること!誰かに相談したり、助けてもらう友達を持つことが大切じゃないかなと思っています。男児の母として、苦労や楽しいこと、気づきなどがあれば教えてください。
内田:とにかくエネルギーがすごくて、ついていくのがやっとです。一回で言うことは聞いてくれないし、くだらないことで大笑いしているし、なんで?と意味不明の行動ばかりしているので、脱力の毎日です(笑)。ただ、とにかく自分の気持ちに正直で、それをきちんと表現してくれる素直さだったり、必要以上にママを大好きでいてくれるところは、何事にも代えがたい宝物ですね。
荻野:ほんとそう、息子は大変!母親は先回りをして行動してしまい、何でもやってあげてしまいがちだから、男の子には父親の存在も重要だと思う。子供と対等に話をすることも。
後編へ続く……
Profile
内田恭子 Kyoko Uchida
元フジテレビアナウンサー。
99年慶應義塾大学商学部卒業。
06年フジテレビを退社、以降フリーアナウンサー、タレントとして活躍。
明るく親しみやすいキャラクターで、幅広い世代に支持されている。私生活では二児の母でもあり、そのライフスタイルは、多くの同性の共感を呼んでいる。
LOCATION:ザ・ペニンシュラ東京
日本の「灯籠」をイメージした24階建てのザ・ペニンシュラ東京は、丸の内、皇居外苑と日比谷公園に面しており、ショッピングの中心地、銀座までは徒歩3分圏内と最高のロケーションに位置し、和のテイストで落ち着きのある客室と個性豊かなレストランをご提供しています。
PHOTO:AKIRA MAEDA(MAETTICO)
HAIR&MAKE:TAKEYUKI SATO
STYLIST:TSUKASA MIKAMI(D Bless Inc.)
EDIT:MAYUKO HAMAGUCHI(SEASTARS Inc.)