「アンテプリマ」の創設者であり、香港と日本を軸に活躍するクリエイティブ・ディレクターの荻野いづみが、いま会いたい、第一線で輝き続けている女性をゲストにお呼びして語るエンパワーメント対談企画。
世界に通用する、強く美しく生きる女性としてのキャリアやその魅力に迫り、みなさまにお届けします。
プロクライマー野口啓代さんの後編をお楽しみください。
前編とあわせてぜひご覧ください。
VOL.2 後編
グローバルに世界を感じて日本を想う
ポジティブな女性としての生き方とは
GUEST | 野口啓代 Akiyo Noguchi
荻野:世界と関わるご自身の活躍や功績、活動などについて教えてください。
野口さん(以降、敬称略):16歳からW杯に出場し、日本代表として16年間活動。ボルダリングW杯優勝通算21勝や、東京五輪では銅メダルを獲得しました。国内で上位になると日本代表として国際大会に派遣される環境で、日本の国旗を背負ったはじめての海外遠征は、ブルガリア。当時から年間15戦も国際大会があるので、世界と日本を行ったり来たりする現役生活でした。引退したいまは、自分にしかできないことを形にしていくため、クライミング界に貢献できることを追求中です。
荻野:これまでのキャリアで、一番印象に残っているチャレンジは?
野口:五輪出場を目指すこと、また日本人第一号で内定を取ると決めたことですね。
荻野:大きなチャレンジですよね。世界と日本の両方を見て、違いなどを感じることはありましたか?
野口:日本はまだまだ男尊女卑、男女不平等が残っている印象がありました。世界を見た中で、日本や日本の女性たちのよさは、いい意味で日本人ならではのつつましやかな姿勢だと気づきましたね。海外の女性の方が強い印象なので……。大会は男女分かれていた世界なので、男女の格差はありました。女性はやはり男性に勝てない、力の差がある競技なので、今後ジュニア育成を考えたときに、男性へのフィジカル的なサポートはできないと感じることも。技術、力の面でも女性の方が繊細で、メンタル、感情などをコントロールするのが難しいとも思います。でも自分はそこが長けている部分だとも思うので、勉強していきたいと思っているところです。荻野さんは違いや男女差など感じますか?
荻野:世界と日本では、男女の立場が違うと感じていて。日本以外は、香港とイタリアしかよく知らないけれど、日本は女性が活躍することや、仕事を持ちながら結婚して子供を産むのはとても大変です。アメリカンスクールでは保護者会が夜にあったり、と働く母にも優しい。日本はサポートが受けやすい体制とは言えないと思う。女性の負担がとても大きいし、活躍しにくいと思うんです。出産や育児で仕事のブランクが必ずできてしまう。海外を知ると日本は遅れているなと感じますね。
女性として第一線で戦い抜くことは大変だったと思いますが、世界で活躍するにあたって、大変なことはどう乗り越えましたか?
野口:日本代表の協会がまだ成熟していない時代は、遠征のフライト予約などすべて自分で手配でした。うまくいかないときにも、サポートやカバーしてくれるひとが誰もいなくて、自己責任だったのが大変でしたね。でもそんな中でも、好きなクライミングができる気持ちの方が大きかったので、多少大変なことがあっても楽しめたことがよかったと思っています。
荻野:ポジティブに生きるための方法や、息抜き方法は何ですか?
野口:ネガティブも受け入れ、自分と向き合うことです。現役中は息抜きが必要だったけど、いまは張り詰めた生活を送っているわけではないので、特別に息抜きを必要とはしていないです。次こそは優勝したいと意気込んで、優勝できなくて落ち込んでいた10代は、喜怒哀楽が激しくて。そんなときに「Take it easy」と父からメールがきて、「がんばって」じゃなくて「気楽に」と言ってくれたので、力が抜けて助かったことがあります。オリンピック前にはプレッシャーが重く、気持ちの整理ができず、周りの期待に応えられるか、メダルが獲れるのか、応援してくださるひとのことばかりを考えていた。そんなときにメンタルコーチに、「自分たちはそんなに小さなことで、あなたをサポートしているわけじゃないから」と言われ、その言葉がとても響いてポジティブになれました。
荻野:世界で戦うのって重圧はありますよね。やりたくないことをやるとき、逃げないことが大切だと著書にありましたが、逃げない秘訣って何でしょうか?
野口:オリンピックルールが特殊で、3種目をひとりでやるんです。2種は得意だったのですが、もう1種のスピード種目はオリンピックで初めてやるものだったので、苦手なものと向き合う必要がありました。そのスピード種目のコーチをつけたのですが、10歳以上年下なのに誰よりも早く競技に取り組んでいて、スピードを愛しているひとだった。スピードのよさ、面白さ楽しさを教えてもらうことで素直に受け入れて知ることで好きになろうと努力しましたね。きらいなものは、面白いよさの理由がわかっていないのだろうと考えて、好きになろうと向き合ったんです。
荻野:まず好きになることって、逃げずに向き合うことに繋がるんですね。好きなよさやいいところを積極的に聞くというところは、一緒、共通だなと思いました。デザイナーは華やかに見えるけど、工場、生地屋との対話も多く、発表の場や売る場にも出て行かなきゃいけない。シャイなひとも多くて、その部分が苦手なデザイナーもいる。私はひとが好きだから大丈夫だし、ファッション好きでエンジョイしているけれども、ショーの前はヘルペスができるし、こんな私でも、毎回ストレスフルで逃げたくなるんですよ。ミラノコレクションでも、音楽、舞台制作、スタイリング、ヘアメイク、モデル、照明のプロが一挙に集まり、最終ジャッジはすべて自分。プロに向かってやりなおしをお願いする時のストレスも。火花が散る(笑)。自分のショーをするためだけど、コレクションは自分だけじゃできない、大変なことがたくさんある。
プレッシャーに打ち勝つための方法、習慣はありますか?
野口:必死に戦わない。何に対してどういうことがストレスになっていてプレッシャーなのか、紐解いていくんです。漠然としてわからないことが不安に繋がるので。その不安がすべて競技に出るから、どういうメンタルで大会に臨むのか、心理的にギリギリの戦いになるので、長い時間自分に向き合って、不安と戦わないよう、まず分析することです。
荻野:さすがの対処法で、ご自分をよくわかっていらっしゃる。モチベーションがあがらないとき、どうやって高めますか?
野口:常に高くいなきゃと思うとツライ。16~32歳までずっと頑張ってきましたが、常にモチベーション高くしなきゃいけないとかは思わなかったです。年間の中で波を作り、終わったら旅やご褒美を自分に与える。ここまでがんばったら疲れすぎる前に休んでおこうとか、できるようになりました。がんばり続けてガス欠はよくない。そこは自分で調整していましたね。
荻野:そうですね。ずっとテンション高くいるのは無理なこと。しょうがない、と休むこともしなければいけない。限界だな、と思うことも長い中でありましたよ。いずれ越えるし越えたらいいことあるんだろうなと想像していました。あきらめることも、しょうがないと打ち切ることもときには大切で、次いこう!と角度を変えたり、じゃあこっちに登ろう!と切り替えて、私は乗り越えてきたかな。
東京五輪を経験して、どんな世界が見えましたか?メダルを獲ったことでの変化があれば教えてください。
野口:五輪はこれまで出場したW杯や世界選手権とは全く異なるプレッシャーでしたし、あれだけの大舞台を経験したことで多少のことでは動じなくなりましたね。
荻野:オリンピックや大会での、ファッションやオシャレってどうしていましたか?
野口:競技が軸なので、女性としてオシャレしたいこととはまったく別のものでした。身だしなみを整えキレイにしていたいとは思っていて、ヘア、ネイル、メイクは、何の規制もなかったから、ネイルを自分で塗ってテンションを高めていました。ピアス、ネックレスもOKでスポーツにしては自由。ふつうの30代の女性が、準備して会社へ行くのと、きっと同じ感覚です。
荻野:わりと楽しめる環境だったのですね。羨ましい!私は自分のブランドがあるから、ファッションを楽しめていない(笑)。なんでも着てみたいし、いろんなものに挑戦したいのですが、楽しめる環境にない……。アンティークのピアスを集めていて、どことわからないものを楽しんでいます。ファッションデザイナーは、たいていみんな黒を着ていて、黒子に徹していますしね。
野口:現役中はスポンサーのウェアしか着られなかったけれど、引退したいまはクライミング以外の仕事も増え、プライベートの服装も選べるようになったから、これから楽しめるなと。
荻野:思いっきり好きなファッションを、楽しんだ方がよいと思います。
荻野:引退を決意したときの経緯や気持ちを教えてください。
野口:自国開催の五輪を自分の集大成にしたいと思いました。自国開催でなければもっと早く引退を決めていたかも。内定がかかる大会前に「内定が取れなければ引退する」と明言したのですが、自分はやはり「五輪で戦いたい」という強い意志の表れだったと思います。
荻野:今後、思い描いている展開や夢について教えてください。
野口:もっとクライミングをメジャーに身近にしたい。W杯や世界大会ができるような大きなジムを作ったり、大会を誘致したりしたいです。今後、日本人が常に世界で戦えるような環境作りや、トレーニングメソッドなども確立していきたい。
荻野:素敵な夢をお持ちですね。野口さんのセカンドキャリアのスタートと、私が某ブランドに携わりファッション業界に入ったのが32歳、同じくらい。女性が新しいことをはじめる年齢としては、ちょうどいいし、人生は夢見たもの勝ちだと思うから、どんどん挑戦するべきだと思います。『アンテプリマ』を立ち上げ一代で築き、ブランドは来年30周年を迎えます。私にもできたのだから。
野口:新しいことに挑戦していきたいです。これまでクライミングメインの生活だったので、他競技の方との交流や、ビジネスで成功されている方から、いろいろなお話を聞いて、知見を深めていきたいと思っています。クライミングが好きで、クライミングと一緒に成長してきたから、世界的に見ても劣らないよう日本のクライミング界を成長させたい。引退試合で銅メダルだったので、いつか今後、日本人の金メダルを見てみたいという夢があります。
荻野:言霊ってあるはず。声に出すことって大事だし、きっと叶いますよ!周囲がきっとあなたの声を聞いて、協力するでしょう。
最後に、現代に生きる女性へ、アドバイスやメッセージなどをお願いします。
野口:ひととのコミュニケーションが減り、モノゴトを共有することが少なくなったいまこそ、共感・共有することが大事で、自分でその場を積極的に作り、社会と繋がって欲しいなと思います。女性って、女性から影響や感銘を一番受ける。自分の発言や体験を通して、女性たちのやる気などきっかけになって欲しいです。引退後の挑戦したいことが、現役より貪欲かもしれないです(笑)。みなさまの励みに繋がったらうれしいですね。
荻野:ご活躍をお祈りしています。ファッション、スポーツ、音楽、アート、もっとオーバーラップしたらよいのにと思います。ファッション感覚でスポーツをやるひとが増えて欲しいし、クライミングも自由なスポーツだから、これからの可能性がまだまだ広がりますね。今度やってみたいのでご指導してね。本日はありがとうございました。
Profile
野口啓代 Akiyo Noguchi
プロクライマー
89年茨城県龍ケ崎市生まれ。競技を初めてわずか1年で全日本ユース選手権を制覇、その後も国内外の数々の大会で成績を残す。08年にはアジア人としてボルダリング ワールドカップで初優勝、その後引退までに通算21勝を数える。年間総合優勝を4度達成し、長年クライミング界の絶対女王として活躍。東京オリンピックではスポーツクライミングの招致活動にも携わり、五輪でのクライミング種目が実現に尽力。五輪を競技人生の最後の大会と位置づけ、銅メダルを獲得し、有終の美を飾る。今後はクライミングの普及、自らの経験をもとにその魅力を伝道していくセカンドキャリアをスタートさせたばかり。今後もクライミング界のパイオニアとして活動していく。
LOCATION:ザ・ペニンシュラ東京
日本の「灯籠」をイメージした24階建てのザ・ペニンシュラ東京は、丸の内、皇居外苑と日比谷公園に面しており、ショッピングの中心地、銀座までは徒歩3分圏内と最高のロケーションに位置し、和のテイストで落ち着きのある客室と個性豊かなレストランをご提供しています。
PHOTO:AKIRA MAEDA(MAETTICO)
HAIR&MAKE:TOMOKO KAWAMURA
EDIT:MAYUKO HAMAGUCHI(SEASTARS Inc.)