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「アンテプリマ」の創設者であり、香港と日本を軸に活躍するクリエイティブ・ディレクターの荻野いづみが、いま会いたい、第一線で輝き続けている女性をゲストにお呼びして語るエンパワーメント対談企画が始動。
世界に通用する、強く美しく生きる女性としてのキャリアやその魅力に迫り、みなさまにお届けします。

VOL.1 前編
世界と繋がりデザインやライフスタイルを発信する
今の時代をしなやかに楽しみ生きる女性の活躍
GUEST | 木田隆子 Ryuko Kida

今の職場/仕事との出会い

荻野:『エル・デコ』ブランドディレクターでいらっしゃる木田さん。まず初めにご経歴や、今のお仕事に至るまで、そして現在のお仕事を改めてご紹介いただけますでしょうか?

木田さん(以降、敬称略):幼少の頃から書くことが好きでした。大学卒業後、コピーライターとしてキャリアをスタート。その後編集の仕事に興味を持って、雑誌の創刊ラッシュが続くなか『フィガロ ジャポン』の創刊メンバーになりました。そこで7年、副編集長を経て、その後同じ出版社の中で男性誌『ペン』が創刊されることとなり、そちらでも創刊メンバーとなり、のちに編集長に。「読者が男性でも女性でも仕事ができるのは木田だけだ!」と当時の編集長からおだてられつつ任命され、最初から関わるという経験を7年させていただきましたね。この頃、小さい頃から影響を受けてきた兄が、別な雑誌の編集長をしていて、大きな刺激を受けました。
その後、出版社をハースト婦人画報社に変わり『エル・デコ』の編集長を9年勤めたのちに、同誌のブランドディレクターとなりました。

フランス系女性雑誌から、ドメスティックでデザインに強い男性誌へ。さらにその後、フランス系女性誌エルグループのデザイン&インテリア雑誌に携わるということで、キャリアとしては、たまたまですが、ある種の一貫性があり、経験が全て生かされる形となっているのはとてもラッキーなことかと思います。カルチャー、ファッション、インテリア、デザイン、などの分野で横断的に仕事に関わり、『ペン』の時はファッション特集もずっと担当していて、季節ごとに海外で撮影をするなど、思い出も多いです。

現在のブランドディレクターの仕事内容は、編集、広告、販売のそれぞれの動きが相乗効果を生むように、またプリント、デジタル、eコマース、イベントなど新しい領域を孕んだメディアのあり方をブランディングの立場から、探っていくこととなります。

荻野:いまのキャリアになるまでに、努力されたこと、苦労されたことはありますか?一番印象に残っているエピソードなどあれば教えてください。

木田:仕事が大好きだったので、好きなことが貫けて幸せと言えるかもしれません。「そこまでやらなくていい!」と言われるのが一番嫌だったというくらい、ただ、ただ一生懸命に目の前の仕事に向き合ってきました。雑誌の文章は短いので、どれだけのことを短い文に込められるか、などなど。好きなことなので全く苦にはならなかったけれど、ブラック的に仕事をしていましたね(笑)。

荻野:目の前のことを必死にね。とてもわかります。私も自分の会社なのに、ブラックに働いていたかも(笑)。お互い似ていますね。

木田:『フィガロ ジャポン』や『ペン』の頃は、夜中になるまで仕事に没頭して、いま考えたらありえない仕事の仕方をしていました。努力しなきゃ、克服しなきゃという感覚より前に、絶対いいものにするから、走らせて!と思っていたのかなあ。危険な人ですね。やめようと思った事が一度もないのは天職かもしれません。
『エル・デコ』の編集長になってから印象に残っているエピソードは、世界中のエル・デコの編集長が選ぶ『エル・デコ インターナショナルデザインアワード』のデザイナーオブザイヤーに、深澤直人さん、吉岡徳仁さん、ネンドの佐藤オオキさんなど、立て続けに日本人デザイナーが受賞したこと。デザイン界における日本の存在感を世界に示せたのは、嬉しいことでした。引き続き、日本のデザイナーの海外での活躍をサポートする仕事は続けています。
そして、有田焼の新たな可能性を発信するべく、ミラノサローネにて『 2016/』の国際的ローンチをサポートし、こちらも『エル・デコ インターナショナルデザインアワード』のテーブルウエア部門の受賞にまで持っていくことで、衰退しつつある伝統産業をサポートする活動ができたこと。イタリア版編集長を有田に招聘したりと、様々な努力をして成果が得られたことは、現在の私の活動のヒントになっています。

荻野:ご自身のキャリアに関わる選択で、最もよかったことは何でしょうか?

木田:そうですね、グローバルマガジンとの関わりを続けることができたことでしょうか。グロールマガジンといえば、昔は欧州の文化を日本に入れるだけでしたが、いまはネットワークを使って、日本のカルチャーを世界へ紹介して行くことが可能です。広い領域で日本と世界の両方を知る立場になって、より日本の良さを伝えたい、発信したいと考えるようになりました。
編集長になることが目標だったわけではなく、取材して表現することに興味があり、ひとから聞いて自分なりに解釈し、表現して世界に発信することが、私にとっては世界を知るための方法でした。書くことが好きで上手にできたから(就職難の時代だったので、それなりの苦労はありましたが)、学校の先生か?コピーライターか?なら、コピーライター!大きな会社か?小さな会社か?なら、女性である自分の手を伸ばせる余白のある小さな会社!などの選択を、直感で繰り返してきました。編集の仕事をしてからは、書くだけでなく、撮影する、交渉する、キュレーションするなど、仕事の幅を広げてきた結果なんです。荻野さんは?

荻野:私はプールが目の前にあったら飛びこんでしまう様な性格ですが、40年前、香港で某イタリアブランドのディストリビューションに関わり、10年間世界を飛び回っていました。本格的に『アンテプリマ』を始めたころは、周囲からは心配されましたが、選ぶのではなく不安ながらまず飛びこんできたのが私の人生です。気が付いたらやっていた感覚。すべて選択より流れで、無理矢理ではなくドアを開けて進んでいました。

木田:私は荻野さんのように飛びこむほどの潔さはないけれど(笑)、まずやってみます!と進んでいたら、良い方向にいくような繰り返しでしたね。

荻野:自然に流れて辿り着いたというのは素敵ですね。文章を書くことに対する興味や作業をずっと続けていられる場所を本能的にわかっていて、どんどん良い方向へと流れていったんでしょうね。
キャリアを続けるにあたり、普段から心がけている事は何かあります?

木田:何事もあきらめないこと、でしょうか。最近はリモートワークが増えて、新しい発見がありました。移動の時間は結構無駄が多いということもわかり、仕事をすることと生活をすることのバランスを、よりよく考えられるようになりました。集中したいときは夜中の時間を使うことも多く、昔に比べれば少なくなりましたが、基本的に夜型です。急ぎの仕事がないときは、朝起きて、パンを買いに行きがてら、ちょっと近所を歩いて、季節の植物の写真を撮ってみたり。写真を撮るのは、文章を書くのと同じくらい好きで、こちらは編集者時代は写真家に任せていたのだけれど、自分でイメージを追いかける時間が今はとても刺激的。写真集を一冊は出したいな~など思いつつ、戻って仕事、午後は出かけるという感じですね。

美しく強く生きる女性としての活躍

荻野:ご自身の人生で影響を受けた女性はいますか?

木田:女性ですか?誰でしょう。すぐに思い浮かびません(笑)。

荻野:目の前の事をただ一生懸命やってきただけで、特に影響された事はないので、木田さんと私、似ているかもですね。歳上の頑張っている女性の友人から元気をもらう事はあります。先日、親友のお母様(98歳!)にお会いしましたが、ご自身の足で歩いてレストランまで来られ、一緒に会食。未だに何か自分でもできることはないかと自ら仕事を探し、毎日頑張っている姿は頭の下がる思いでした。
社会に出られた時代と今とで、女性の立場や働き方に変化は感じますか?

木田:今の方が自由なのではと感じます。社会に出たての頃は、専業主婦にだけはならないように、なんとか自立できる女性でありたいと思っていました。今の方がいい意味で肩の力が抜けています。

荻野:たしかに昔は女性が海外に出て働くことが、珍しい時代でしたものね。今、女性が外に出て働くのが当たり前の社会が目の前にあると感じますが、まだ働きやすい世界ではない気もします。離婚や家族の病気など、家庭での役割の多さもあり、女性のほうが時間のやりくりは大変ですね。

木田:そうですね。これまでの経験でいうと、確かに男性たちが作り上げる村的な態度やネットワークが、壁だと感じたことはありました。でもそんな時でも「木田は思ったとおりにやれ」とサポートしてくれたのは、別の男性上司だったりしました。女性の上司がまだいない世代なのかもしれません。
今の職場はほとんどが女性。エルグループは女性誌系ということもあるのか、女性が8割をこえています。みんなのびのびとしています。

荻野:ファッション業界は、性的マイノリティがたくさんいる世界。とくに女性だからとか、性別の意識はしなかったですね。私たち、業界的に恵まれていたのかもしれません。女性の方がどうしてこんなにやることがあるの!と日々思います。仕事、家庭、子供のこと、冷蔵庫の中、主人ってずるいなと思ったことも……。
木田さんは立ち止まったり、迷ったりしたことはありますか?その時どのように対応されていますか?

木田:たくさんありますよ。ひたすら寝ていることが必要なときも。そんなときは無理しないで、風が来るまで待っているしかない。ジタバタしない。無理しても疲れるだけ!

荻野:そこも似ているかも!ルイ・アームストロングの「what a wonderful world」や「ケセラセラ!なるようになるわ!」と思えるような、そんな歌を思い出す感じで乗り切ります。


後編へ続く……


Profile

木田隆子 Ryuko Kida

『エル・デコ』ブランド ディレクター
(株式会社ハースト・デジタル・ジャパン)

編集者・ジャーナリストの立場から長年にわたりインテリア、デザイン、ライフスタイルの分野にかかわる。
パリ、ミラノ、コペンハーゲン、マイアミ、上海など、豊富な海外フェアの取材やインタビューの経験をもとに、世界の最新トレンドを発信。グローバルなネットワークを生かして、日本のデザイン、ライフスタイルの海外への紹介も行う。
『フィガロ ジャポン』副編集長、『ペン』編集長(いずれもCCCメディアハウス、旧阪急コミュニケーションズ)を経て、2005年12月から『エル・デコ』日本版(ハースト婦人画報社、現ハースト・デジタル・ジャパン)の編集長に就任。2014年7月より現職(BRAND DIRECTOR)、現在に至る。
エル・デコ デジタルでの連載や、エル・デコ デザインウォーク2021ライブトークもぜひご覧ください。
Instagram @ryuko.kida

LOCATION:ザ・ペニンシュラ東京

日本の「灯籠」をイメージした24階建てのザ・ペニンシュラ東京は、丸の内、皇居外苑と日比谷公園に面しており、ショッピングの中心地、銀座までは徒歩3分圏内と最高のロケーションに位置し、和のテイストで落ち着きのある客室と個性豊かなレストランをご提供しています。

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EDIT:MAYUKO HAMAGUCHI(SEASTARS Inc.)

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