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「アンテプリマ」の創設者であり、香港と日本を軸に活躍するクリエイティブ・ディレクターの荻野いづみが、いま会いたい、第一線で輝き続けている女性をゲストにお呼びして語るエンパワーメント対談企画の第二弾。
今回はプロクライマーの野口啓代さんをお迎えし、世界に通用する、強く美しく生きる女性としてのキャリアやその魅力に迫り、前編・後編に分けてみなさまにお届けします。

VOL.2 前編
世界を舞台にクライマーとして戦う
今の時代をしなやかに楽しみ生きる女性の活躍
GUEST | 野口啓代 Akiyo Noguchi

今のお仕事との出会い

荻野:東京オリンピックのご活躍も記憶に新しい、プロクライマーの野口啓代さん。まず初めにご経歴や、今までに至る活動などを、改めてご紹介いただけますでしょうか?

野口さん(以降、敬称略):小学5年生の時に、グアムで初めてフリークライミングに出会いました。そこからクライミングに魅せられていき、競技を始めることになるのですが、始めて1年で全日本ユース選手権を制覇しました。08年にはアジア人としてボルダリング ワールドカップで初優勝して、その後20年以上選手として第一線で戦ってきました。年間総合優勝を4度達成し、通算21勝を数えます。東京オリンピックで銅メダルを獲得し、その後選手としては引退して、今に至ります。

荻野:輝かしい経歴とご活躍ですね。クライミングの魅力にはどのように惹かれていったのでしょうか?

野口:家族旅行のグアムのゲームセンターで初めてクライミングを体験したんです。父も一緒に体験してクライミングの魅力を感じ、興味を持ちました。帰国後に父が積極的に都内のジムに連れて行ってくれたりして。当時父が酪農を経営していた牧場があり、幼少期の遊び場だったのですが、酪農場の使っていない牛舎の一部をクライミングウォールに改装して、プライベートジムを作ってもらいました。ほかのスポーツはしていなかったけれど、木登りが好きで、高いところも大丈夫で楽しかったから、クライミングに向いていたのかもしれません。ひとつ下の妹がいて、父と3人でクライミングしたとき、妹に負けてしまったことがあり、それが悔しくて! 初めて“自分にとって譲れないもの!負けていられない!”という意識が芽生えました。

荻野:負けず嫌い精神から、真剣になったのでしょうね。アスリートとして、プロのクライマーを目指したきっかけは?

野口:大学進学かプロか悩んだ末、私立大学に推薦で進学しました。プロになるという選択肢は当時なかったのですが、19歳で初優勝したときに、頑張れば世界一になれるかもしれないという想いが出てきて、やはり「大学を辞めてクライミングでやっていこう」と決意をして、プロに転向することにしました。

荻野:プロになるまでに努力したこと、苦労されたことなどはありましたか?

野口:当時、世界で戦ってプロになったアジア人女性がいなくて、まだ誰も優勝していませんでした。情報もあまりなくて、見本もモデルケースもなく、プロという選択肢そのものがなかったことですかね。前例がないから、選択することが難しかったです。父はプロになって欲しかったみたいで、お金は気にしなくていいという考え、母は大学へ行って欲しい、プロになって苦労して欲しくない、と意見が割れていました(笑)。年間15戦も国際大会があり、長い期間、海外へ行きっぱなしという生活だったので、大学へ通うイメージがなくて。一度は大学に入ったものの、やはり世界一を目指したくなったのでプロ転向を決意できました。プロで苦労したことは、まわりの反応が今とは違ったことです。世界を転戦するのに、親から自立して自分のチカラで出たいという思いが強く、でも海外へ渡るには時間も費用もかかる。精神的にも経済的にも自立しないといけなかったし、成績を出し続けないとスポンサーもつかない、自分のイメージ戦略も考えなきゃいけない、と苦労は絶えませんでした。

荻野:女性が海外進出するのは、簡単なことじゃないですよね。私も98年のミラノコレクションは、日本人女性初で進出だったので、前例がないことの苦悩はよくわかります。当時は周囲の著名日本人デザイナーさんに聞いたり、わからないことをパリに聞きに行ったのを覚えています。誰もいないっていうのは、すごく不安ですよね。誰かのマネは同じ程度まではできるけれど、新たに切り開いていくのはすごく大変なこと。 ご自身のキャリアに関わる選択で、最もよかったことは?

野口:15年に五輪の追加種目も招致活動に関わり、16年にスポーツクライミングが東京オリンピックで追加種目に決定し、自分自身が五輪出場を目指す決断をしたことです。嬉しかった出来事でしたし、大きな決断でした。

荻野:引退する前のアスリートとしての生活(練習やトレーニング)の一日のタイムスケジュールはどんな感じだったのでしょうか?

野口:クライミングは3種目あり、現役のときはそれをバランスよく練習している日々でした。8時頃起床し、10時から13時はスピード、お昼休憩のあとボルダリングとリードの練習を5時間程度やっていました。引退した今は、仕事の日は午前中入りが多いので、現役当時よりも朝が早くなりましたね。

荻野:野口さんの環境の女性の割合は?

野口:競技においては、大体7:3で圧倒的に男性選手が多いですね。引退してからのイベント等のお仕事の場合は、半々くらいの比率で参加してくださっています。

美しく強く生きる女性としての活躍

荻野:ご自身の人生で、身近な女性から影響を受けたことを教えてください。

野口:家族からの具体的な影響より、トレーナーの有吉与志恵さんからの影響が大きいです。有吉さんは元アスリートで、現在は事業にも成功されている。アスリートファーストで、常に学びを絶やさず、パワフルな方で、セカンドキャリアの参考にもしていきたい女性で憧れています。あとは、オーストリアの選手で1つ上のアンナ・シュテールさんは、一番影響を受けた選手です。ワールドカップの年間チャンピオンを私か彼女で競い、切磋琢磨した戦友でありライバル。成績も素晴らしいのですが、人間性が本当に素敵で。私がワールドカップで念願の初優勝をしたとき、彼女は優勝できずショックなはずなのに、一番に「おめでとう」と駆けつけてくれました。尊敬していますし、お互い刺激し合いたくさんの影響を受けました。荻野さんはそんな女性はいらっしゃいますか?

荻野:そうですね、『プラダ』創業者の孫であり『ミュウミュウ』創業者のミウッチャ・プラダさんでしょうか。彼女はお嬢様で、普通の女の子からファッションの世界で成功したひとり。『アンテプリマ』が世に知られてきたときに、「ミウッチャもできたから、私も頑張ろう!」と思って奮闘するきっかけになった女性です。ファッションを勉強してデザイナーを目指していたわけではないけれど、ファッション好きで環境に恵まれてブランドを立ち上げたという、私と同じような境遇だったので、私にもできるかも!と思わせてくれました。『コム・デ・ギャルソン』、『ソニア リキエル』などみなさんいろんな頑張りがあってファッションを立ち上げている。ひとりの強い想いがブランド構築を叶えていった、そんな意識を身近に感じましたね。やるんだ!というひとりのチカラってすごいんだって。たくさんのひとたちを巻き込んで影響していく。来年くらい、野口さんも周りを巻き込んでやっているでしょうね。

野口:ファッションもスポーツと共通点があるかもしれないですね。メダリストがひとりでも日本人やアジア人から出ると、一気に世界や流れが変わる。その渦中にいられたことはよい経験になっています。

荻野:日々の体調管理やメンタルケア、食生活など、心掛けていることはありますか?

野口:とにかく睡眠をしっかり取り体を休め、栄養バランスのいい食事をすることです。湯船にしっかりと浸かることも心掛けていますね。また今の時期だと、乾燥は免疫力が落ちるので、気をつけていることでしょうか。

荻野:だからお肌もキレイなのね!秘訣を教えて欲しいわ。

野口:特別なことはしていないです。体や自分のコンディションは常にいい状態にしておきたいから、しっかり栄養、睡眠、リラックスする時間をとっているだけ。当たり前のことを当たり前に……。気をつけてビタミンAとCは飲んでいます。

荻野:私は逆に特別なケアをいっぱいしています(笑)。たしかに状態がよくないと人前に出ていくのもいやになっちゃいますよね。ビタミン点滴、プラセンタ、幹細胞、なんでも試してみるのが好きだけど、なるべく自然でいられるように内服して内側からの美を心掛けています。2カ月に1回血液検査も欠かせない。

野口:参考になります。私は銅が足りていないみたいで、気をつけていても足りないものもあるみたいで。免疫が落ちると体調不良に繋がるから、自分ケアが大切ですよね。感覚や、目で見てわかるように気をつけるようにしています。

荻野:女性ならではの悩みとして、ホルモンバランスなど、試合では調整していました?

野口:自分は月経などで苦労はしませんでした。オリンピックではさすがに調整を考えましたが、幸い調整の必要はなかったです。体重を落としたり、生理不順、メンタルなどによってパフォーマンスが崩れたり落ちるので、アスリートとしては向き合わなきゃいけない問題でした。

荻野:やっぱりアスリートだから、体調管理がパフォーマンスの要ですものね。女性の立場や活躍の中で、年齢での変化を何か感じることはありましたか?

野口:まだこれからかもしれませんが、いまのところ特に自身では感じなかったです。トレーナーさんに出会って女性としての経年変化による対処における正しい知識をアドバイスしてもらっていたので、事前に防ぐことが出来たと思っています。

荻野:女性ならではの困ったことや壁を感じたことはありましたか?

野口:マイナスなことは特になく、むしろ女性ということで優遇してもらったプラスはありました。男性が多い世界だったので、どちらかというとレディーファーストだったように思いますね。

荻野:それはいい環境ですね。ご自身のキャリアの中で、立ち止まったり、悩んだりしたことはありますか?そのときにどう対応し乗り越えました?

野口:数々のターニングポイントはありましたが、毎回その内容や対処方法が異なるので、その都度、自分と向き合うことが大切。決して成功体験に固執しないことが大事ですね。

荻野:その切替スイッチは、お仕事や人生などにも活かせそうですね。逆にキャリアの中で嬉しかったことは何ですか?

野口:マイナー競技だったクライミングが、五輪や自分の活躍を通じて、世の中に知ってもらえたことです。自分のやっていること、今までにやってきたことが、肯定的になったということが一番の嬉しいことです。

荻野:オリンピックの功績は本当に素晴らしかったです。みんなが広くクライミングのことを知り興味を持ったのではないでしょうか。女性として強くしなやかに活躍するために、必要なことや大切なことは何だと思いますか?

野口:男女関係なく活躍できることでしょうか。また女性から影響や刺激を受けることが多いので、自分が知らない知識を持つ女性からいろんなことを吸収して自身を成長させることが必要だと感じます。

荻野:最近ご結婚され、よかったこと、大変なことなどを教えてください。また仕事とプライベートの両立について、パートナーとの関係性をよくするために努力していることなどありますか?

野口:結婚してよかったことは、関係をオープンにできること。大変だったことは結婚前、お互いの関係を隠していたわけではないのですが、公にしていなかったので気をつかったことですね。競技中は結婚を考えていなかったので、引退したタイミングで、同じクライマーの彼と結婚。彼は競技者であり現役選手。結婚したことで、ペアで見られがちですが、いまは引退した私ではなく、彼のパフォーマンスを見て欲しいと思うことが多くありますが、どうしても夫婦での発言や行動が求められるため、自分の中で線引きをするように心がけています。

荻野:フィールドが同じって大変ですよね。私にとって『ミスターオギノ』と呼んでいる配偶者が一緒のフィールドは、いやなことが8割かな(笑)。私はひととお会いすることが多いから、彼に紹介してビジネスが発展するなどいいこともある。それでも社員に対して気をつかうし、気をつかって欲しいことも逆にある。でも笑い話もたくさんあり、いろいろとお互いにシェアできることはいいことですよね。

野口:そうですね。長年ご主人と同じフィールドの荻野さんに、いろいろ秘訣をお伺いしたいです。結婚後は自分の行動や発言一つで相手にも影響が出るので、責任を持って行動するように努めています。解説などのお仕事で公平性を求められる時は、より気をつかいますね。関係性を保つために、物を言うタイミング、口に出すかどうかを見極めて対応しています。以前と変わらずサポートしたい思いは強いので、それぞれのやりたいことをやりながら、共に過ごせたらいいなと思っています。


後編へ続く……


Profile

野口啓代 Akiyo Noguchi

プロクライマー

89年茨城県龍ケ崎市生まれ。競技を初めてわずか1年で全日本ユース選手権を制覇、その後も国内外の数々の大会で成績を残す。08年にはアジア人としてボルダリング ワールドカップで初優勝、その後引退までに通算21勝を数える。年間総合優勝を4度達成し、長年クライミング界の絶対女王として活躍。東京オリンピックではスポーツクライミングの招致活動にも携わり、五輪でのクライミング種目が実現に尽力。五輪を競技人生の最後の大会と位置づけ、銅メダルを獲得し、有終の美を飾る。今後はクライミングの普及、自らの経験をもとにその魅力を伝道していくセカンドキャリアをスタートさせたばかり。今後もクライミング界のパイオニアとして活動していく。

LOCATION:ザ・ペニンシュラ東京

日本の「灯籠」をイメージした24階建てのザ・ペニンシュラ東京は、丸の内、皇居外苑と日比谷公園に面しており、ショッピングの中心地、銀座までは徒歩3分圏内と最高のロケーションに位置し、和のテイストで落ち着きのある客室と個性豊かなレストランをご提供しています。

PHOTO:AKIRA MAEDA(MAETTICO)
HAIR&MAKE:TOMOKO KAWAMURA
EDIT:MAYUKO HAMAGUCHI(SEASTARS Inc.)

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